義母に頼れるようになるまで|同居8年で変わった距離感

義母・義父との関係

義母に頼るなんれ最初は考えられませんでした
正直、想像もしていませんでした

同居前から、相手に嫌われないよう「しっかり気を遣わなきゃ!」と肩に力が入っていた気がします

今でもどこまで甘えていいのだろう、と不安になることもあります
もっと自分でやらないと、と思うこともたくさんあります

でも、8年間を一緒に暮らす中で、少しずつお互いにちょうど良い距離感を築けたように思います

今回の記事は、どのように私が義母に頼れるようになったかまでを扱っています




最初は「頼る」という発想がなかった

気を遣いすぎていた

同居を始めた頃、私は常に「どう見られているか」を気にしていました
食事の準備や洗濯のタイミング、子どもへの接し方
何をするにも、義母の目を気にしながら動いていました
だから、どこか自然体ではいられませんでした

気を遣うこと自体は決して悪いことではありません
ただ、気を張る日々によって自分が消耗していくのはわかります

当時は、それが「同居の普通」だと思っていました

嫁としてちゃんとしなきゃと思っていた

「嫁としてちゃんとしなきゃ」という気持ちは、誰かに言われた訳ではありません
勝手に自分でつくりあげたプレッシャーでした

料理はお惣菜を避け、できるだけ作る
家のことは毎日掃除をしてきちんとやる
義理の両親には丁寧に接する

無意識に、「ちゃんとした嫁」の像を目指していた気がします

だから、頼ると発想はあまりありませんでした

迷惑をかけたくなかった

お願いをすることへの抵抗感の根っこには、「迷惑にならないかな」という気持ちでした

義理の両親には、義理の両親の生活がある
同居したての頃は、仕事もされていて、忙しい時期もありました
そんな状況で、頼ってしまうことで「関係が拗れたら・・・」

そう考えると、何も言えませんでした
振り返ると、あの時の私には「頼ることは迷惑をかけること」だと思っていました



一人でやろうとしすぎていた

自分でやった方が早いと思っていた

頼まない理由の一つは、「自分がやった方が早い」と思っていたからです

説明する手間、理解してもらえるかどうか、やり方の違い、結果がズレる、相手にとって負担だったら・・・
それを考えると、最初から、自分でやった方がいいと結論づけていました

責任も自分にあるので、その方が帰って気楽だなと思っていました

しかし、実際には、自分を追い詰めていただけでした

甘えるのが苦手だった

これは義母に限った話ではなく、もともと人に甘えるのは弱みを見せるようで好きではありません
「助けてほしい」と口に出すことは悪いことだと思っていました

相談したことが相手への負担になったらどうしようと不安をよく覚えます

同居という環境でも、その癖はそのまま持ち込まれていました

頼ることへの罪悪感

仮に頼んだとしても、その後には罪悪感が残りました

「本当にお願いしてよかったのかな」
「迷惑になっていないかな」

自ら、頼んでおいて、「本当に大丈夫だったのかな」と頼んだことを引きずってしまう
助けてもらっているけれど、本当に良かったのかとスッキリしない

頼ることで関係が楽になるというより、気になることの方が増えていた時期でした

少しずつ距離感が変わったきっかけ

子どもが生まれてから

距離感が変わり始めたのは、子どもが生まれてからでした
育児は、私ひとりだけでは、回せないこともありました

体調不良で体が動かない時
仕事で時間的にも余裕がない時
そもそも精神的に余力がない時
誰かの手を借りないとどうにもならない場面が出てきました

そんな時、そばにいてくれたのが義理の両親でした
頼みたいことを選んだというより、どちらかというと頼らざるを得なかっただけかもしれません
しかし、それが確実に距離を縮めてくれました

日常の小さな会話

劇的に大きな出来事があった訳ではありません

野菜が安くて多めに買ったからシェアをした
外で子どもと遊んでいると、一緒に参加してくれた
お風呂上がりの子どもと「おやすみ」を言いに行った

そういう小さな会話の積み重ねが、じわじわと関係を変えていきました

「やっておいたよ〜」の積み重ね

義母から「やっておいたよ〜」のLINEがよくありました

出勤前に干した洗濯物を雨が降ってきたから取り込んだこと
子どもの長靴が小さくなっていたことに気づいて一回り大きい長靴を買ってくれたこと
今日は仕事で遅くなると伝えると子どもの晩御飯とお風呂を済ませてくれたこと

すごく自然にこなしてくれていました
そういう積み重ねが「この人たちは敵じゃない」という安心感になっていきました

信頼は、大きな出来事よりも、小さな日常で育つものだと学びました

義母自身の経験を知ったこと

ある日、義母が自分の結婚後、同居当初の話をしてくれたことがありました

姑さんと揉めて苦労した話
旦那さんとうまくいかなかった話
今だから笑えるような話
いまだに思い出して辛くなる話

何事もそつなくこなす義母にも、迷いや失敗があったことを知り、少し肩の力が抜けるようになりました
完璧でいなくてもいい、と思えたのはその頃だったかもしれません

頼れる関係は「近すぎない距離感」だった

なんでも一緒じゃない

義母と仲良くなった、とは言っても、全てを話す関係になった訳ではありません

プライベートをはじめ話せないこともありますし、お互いに踏み込まない領域もあります
会話の中で感じ取って、自然に線引きをしています


適度な自己開示を通して関係を繋ぐような形の日々が今を形作ってくれています
全部をさらけ出すことが仲良しの条件ではありません
それが、同居している日々の中で学んだことのひとつでした

気を遣わない訳ではない

今でも気は遣います

一緒に暮らしている以上、気遣いがゼロになることはないと思っています
言葉を選ぶ場面もありますし、タイミングを見計らうこともあります
内容によっては、夫に間に入ってもらうこともあります
ある意味、それは、最初のころと大きく変わっていない気がします

ただ、違うのは、それが以前ほど苦痛ではなくなったということです

距離があるから頼りやすいこともある

お互いに適度な距離感を保っているからこそ「お願いする」という行為が成立しました
近すぎる関係だと、お互いに期待しすぎてしまうこともあるのかもしれません

今のちょうどいい距離感があるからこそ、お互いに頼れる関係が続いているのだと思います

今でも迷うことはある

どこまで甘えていいのか

8年経った今でも、「どこまで甘えてもいいのかな」と思う瞬間はたくさんあります

頼んでもいいのか、自分でやるべきなのか
その判断は、毎回すっきり出るわけではありません

毎回、考えて、自分自身で折り合いをつけたり、ストレートに義両親に相談したりしています
そうやって迷うこと自体を、今は悪いことではないと思えています

頼りすぎていないか不安になる

ただ、やはり、お願いした後に、「本当に頼ってしまって良かったのかな」と感じることは今でもあります

義母や義父が嫌な顔をした訳でも、何か言った訳でもない
それでも、自分の中でぐるぐるすることはあります
その感覚はずっとあります

それでも昔より自然になった

8年を経て、昔と比べると、ずいぶん自然になりました

頼む時の変な緊張感が減りました
お礼も改まることなく、さらっと伝えられています

素直に「ありがとう」の言葉が出てくる
大きな変化ではないかもしれませんが、私にとってはそれで十分でした

まとめ

同居は、仲良くなることがゴールではないと思っています

お互いに心地よい距離感を探しながら、少しずつ信頼を積み重ねていく

私にとって、「義母に頼れるようになった」のは距離がなくなったからではありません
ちょうどいい距離を見つけられたからこそ、自然に頼れるようになったのだと思います

それが、8年間でたどり着いた、今の答えです

同じように迷っている方の参考に、少しでもなれたら幸いです
最後まで読んで下さりありがとうございました

「頼れるようになるまで」の前に、私が同居生活において感じていた不安や関係が変わるまでのことは下記の記事でまとめています

この記事を書いた人
まやま あや

義両親同居8年目の長男嫁です♩0歳と7歳の子どもを育てています
0歳から100歳が同じ家で暮らす4世代(三世帯)家族です
義理の両親との穏やかな同居生活、子育て、暮らしの工夫を発信していきます

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